このコラムは毎月10日マックスホームで発行しているコラムの
一部を抜粋したものです。
気宇壮大
2010/12  vol.110
 暮れの街にも色鮮やかなイルミネーションが灯りました。今年も残すところあとわずかとなりましたが皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 「ホームにナイトトレイン、財産はトランクとギターだけ・・・」このフレーズを聴いてピンと来る方はかなりの通です。ロック歌手矢沢永吉の名曲「PUREGOLD」の歌いだしです。広島出身で岡山より東に行ったこともない青年が、高校卒業後、アルバイトで貯めたなけなしの5万円を握りしめ、歌手を目指し上京するシーン。彼は、ホームに到着した夜汽車に一人乗り込んだその光景を今でも鮮明に憶えているそうです。そんな伝説のロックスターの実話をミディアムテンポのロックに乗せて歌った曲です。矢沢永吉は、両親の離婚などで、祖母の下に育てられ不遇な幼少期を過ごしました。ベストセラー「成りあがり」によると、小さいときの口癖は「おもしろくない」。ご馳走は卵かけご飯。金持ちの同級生からクリスマスケーキを見せつけられ、「お前は貧乏だから食べたことないだろう」と頬に押し付けられ、それを舐めた。そんな少年時代の屈辱から「ビッグになってやる」と歌手を目指した。後に彼はこんなことを述べています。生活保護を受けていた矢沢家は、教科書や給食の際も別に並んで受け取る。「こじきがモノをもらうのに並んでいるみたく惨めだった」それを小学6年生くらいで気付かせてもらったと。
 東京へ向かった夜汽車だが、なぜか彼が降り立った先は港町横浜の地。憧れのビートルズの出身地リバプールも港町、途中長旅で疲れて下車したとの説も。矢沢は後に第二の故郷とも言うべき横浜を舞台にした名曲をいくつも残している。当時の彼の発想は、音楽は金儲けの手段、「儲からなかったら音楽業界に興味も無い」そう公言していました。極貧、出会い、裏切り、祖母や母の死、紆余曲折を経て結成したロックバンドキャロルは一躍彼をスターダムへと駆け上らせた。その後ソロ歌手となり、一時代を築いた。それでも、彼がデビューした1970年代はフォークソング全盛期、拓郎や陽水が一世を風靡していた時代。日本人が歌うロックンロールは、まだまだマイナーなジャンルであったはず。彼が全ての新しい扉をこじ開け、ロックをメジャーなものにしたことに間違いはない。
 年末に向かうと、また派遣村みたいな所で報われない人たちが群れをなすのだろうか?最近は、何でも諦めてしまう人が多い。不遇な環境におかれたら這い上がろうともしない。何かといえば逃げ道ばかりを探す。矢沢は言う「俺みたいにやって成功した例は何十万にひとつだと思うが、チャンスとめぐり合うかどうかだ」そして、「誰もがビッグになれる道を持っている」と。
 矢沢永吉の歌には魂がある。そして、慰めに逃げるような心地の良い歌詞は依存しない。かと言って、平和をテーマにしたり世間を風刺した作品も少ない。シャウトし腰を振り、自分の表現をストレートにロックに乗せ歌い続けている。それは彼の生き方そのもののような気がしてならない。世のためとか人のためとかそんな大儀は存在しない。自分のために歌ってきたことが、結果として多くの人々の希望の星となって光を放つ。
 61歳になった今年も、日本が誇るロックスター矢沢永吉が、年末、日本武道館のステージに立ち続ける。
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