2016年3月 vol.173
2016年03月10日
暦も3月。春の陽気を感じる日も多くなり、桜の開花が待ち遠しい季節を迎えました。
早いもので、あの東日本大震災から5年が経過しようとしております。この時期の少し冷たい風を感じると、わずかばかりの震災の記憶が蘇るような気がします。5年という節目を迎え震災の風化を懸念する声も聞かれますが、謹んで犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。
震災というと、どうしても情緒的な報道が多くなりがちですが、被災地宮城では、莫大な財源が投入されインフラの整備が進んでおります。沿岸部に出向けば、復興関連の土を運搬するダンプカーや重機の数に驚くことでしょう。しかし、いくらダンプカーが往来しても、人が戻らないことには復興などあり得ません。企業立地により雇用を創出しようにも人材を確保できない。逆に人が戻ろうにも職場や生活環境が整わなければ生計も立ち行かない。正にニワトリか卵かの議論です。また、一時ほど被災地を支援するような観光やボランティアも減っており、復興関連への経済依存度は相当高いはずです。しかし、工事の進捗と共に関係先も減少傾向にありこれ以上の増加は期待できません。
遅々として復興が進まないという声が聞かれる一方で、このままインフラ整備が進んだとしても都市部を除く多くの自治体において、町に人が戻らない可能性を含んでいると言っても否定的意見は少ないでしょう。人が住まないコンクリートの塊を作り、ところによっては坪単価にして数十万円にものぼる宅地を開発し、1000年に一度と言われる大津波に対し、せいぜい数十年の耐久性しか有しない巨大な防潮堤に景観を奪われ、何をもって復興と言えるのでしょうか?そして、そのしわ寄せは資材、人件費の高騰という間接的なコストとして国民が負担しているのです。国から財源を獲得するためのタイムリミットと地元住人との意見調整の挟間で下されてきた様々な決断には賛否も様々です。その是非が評価されるのは、今ではなくもう少し先の将来なのかもしれません。これ以上偉そうに語れるほどの情報を私は持ち合わせておりませんので、震災の話はこのくらいにしておきましょう。
話しは移ります。間もなく、地価公示価格が公表されます。最近の土地取引の実態から勘案しても、仙台圏の地価は殆どの地点で上昇又は横ばいを示すものと予想されます。前回もお話したように昨年後半くらいから地価は調整局面に入ったものと考えられますが、地価公示ではもう少し前の価格水準が反映されるため、このような予測をたてました。更に7月に公表される路線価も地価公示がベースになりますので、基本的には上昇の数値を示すことになるでしょう。したがって、今年中盤以降はピークを過ぎた実勢価格と上昇を示す公的評価とのギャップを感じる年になるのではないでしょうか。そうとは言っても、市場を悲観するほど悪い状態ではありませんし、物件の流通量が少ない分、良い物件には引き続き高値が付くことは間違いありません。