2022年6月 vol.247
2022年06月10日
長雨が新緑を濡らし、東北でも梅雨入りを予感させる今日この頃です。新型コロナウィルスによる感染も減少傾向にあり、制限が無い中での生活に徐々にではありますが日常を取り戻しつつあります。マスクを外す日が一日も早く訪れることを祈るばかりです。
さて、3月の福島県沖の地震から各地で余震が続いております。宮城県では、遡ること昭和53年6月12日の宮城県沖地震以来、この日を「みやぎ県民防災の日」と位置付けてきました。44年も前の出来事であり、その後の東日本大震災の災害規模があまりにも甚大だったため、語られることも少なくなりましたが、この宮城県沖地震はマグニチュード7.4(県内震度5)、死者29名、負傷者1100名、家屋の全半壊5765戸、被害総額は2000億円規模の大災害でありました。ちなみに、この地震により津波警報が発令されましたが、最も大きい津波は地震発生から約2時間後に到達した青森県八戸で、44㎝の高さの津波が観測されています(昭和53年10月/科学技術庁現地調査報告調)。
当時、小学低学年だった私は、本震の何日か前に余震があったことを微かに覚えております。当時の住まいは旧耐震の古い家屋でしたが、家具の転倒はもちろん、皿ひとつ割れることはありませんでした。幼かったせいもあってか、地震による恐怖を感じた記憶は全くなく、好奇心から友達と近くの川に様子を見に行ったのです。その後、停電や断水による障害が生じたことは記憶していますが、昨今度々発生する地震の方がよほど大きいものだと感じています。
後の記録でも、地域差が大きく、地盤によって被害の明暗を分けたとの報告があります。液状化の起こった地域ではビルの全半壊などの被害を受け、今なお伝わる生々しい映像記録が被害の大きさを物語っています。特筆すべき点は犠牲者の数です。犠牲になられた方の多くはブロック塀などの下敷きになった方々で、その大半が10歳未満の子供と高齢者です。これにより、ブロック塀の強度や鉄筋の省略などの手抜き工事も問題となりました。仙台市の当時の人口は65万人ほどでしたので、人口50万人以上の大都市を襲った地震としては、戦後はじめての規模の都市型災害と言われています。この宮城県沖地震による家屋の倒壊被害が多かったことをきっかけに、3年後には建築基準法が見直されました。今に言う、旧耐震基準と新耐震基準の分岐点となったのです。
政府地震本部の取りまとめによると、宮城県沖では繰り返し地震が発生してきたことが分かります。マグニチュード7.1~7.4前後の地震発生周期は約38年に一度とされています。歴史をさかのぼると、宮城県沿岸では古くから度々津波が来襲しており、大きな被害を受けてきました。この5月に宮城県は津波浸水域の新想定を公表しました。これは、東日本大震災発生後に国が津波防災地域づくりを推進し各都道府県に調査を義務付けたものです。津波をもたらすことが予想される海溝型地震としては、千島海溝沿い地震、日本海溝地震があり、最も近い宮城県沖での地震の発生確率は30年以内に90%とされています。また、宮城県沖の地震としては単独型と連動型が想定されています。地震発生が満潮時で、防潮堤などの構造物が破壊されるなど悪条件が重なった場合、浸水面積は東日本大震災の1.2倍、ほとんどの自治体で東日本大震災時を上回るとの計算結果が公表されました。これには対象自治体や市民の間にも不安と混乱が広がっています。新想定域には、先の東日本大震災後の復興事業によりかさ上げされた宅地や、既存の庁舎、指定避難所なども含まれており、移転建て替えを行なった庁舎までもが対象となった自治体さえあります。
当初、東日本大震災が1000年に一度と形容され、その後の再建や人生設計のうえで判断基準に少なからず影響をもたらしたとも言えます。新想定は最悪の条件が重なった場合との注釈が付きますが、街づくりや防災計画など根本から覆すものであります。東日本大震災から11年余り、日本列島が地震の活動期に入ったことは間違いなく、官民をあげて防災意識の再確認が必要です。