2022年9月 vol.250
2022年09月09日
9月に入り秋晴れと呼ぶには程遠い天気が続いております。6月29日に観測史上最速の梅雨明けとなる速報値が発表されましたが、その後は天候不順が続きました。結果として気象庁は、先日、東北南部は梅雨明けの特定ができなかったとしました。
そんなスッキリしない東北の夏ではありましたが、そのモヤモヤを吹き飛ばすくらいの熱い出来事が起きました。仙台育英高校の夏の甲子園大会初優勝は正に歴史に残る快挙であり、深紅の大優勝旗の白河越えは、高校野球107年の間閉ざされてきた扉をこじ開けた瞬間でありました。
これまでも東北勢は、大旗の白河越えの切符を掴みながらも、あと一歩のところで甲子園の魔物に跳ね返されてきた歴史があります。それだけに、白河越えは東北の悲願でありました。遡ること、第1回大会で秋田中学が決勝でサヨナラ負けを喫した記録が残っています。それ以降、昭和44年の松山商との熱戦を繰りひろげた青森三沢の球史に残る引き分け延長再試合での敗退、その2年後の磐城高校の準優勝を最後に、東北勢が甲子園で上位に食い込む機会は少なくなりました。それゆえに、ベスト8進出などというのは奇跡に近い話であり、東北全体が盛り上がりを見せたものでした。この不遇ともいえる道程では、組み合わせ抽選会場で東北勢と対戦が決まった瞬間に相手チームから歓声が沸くほど実力差を蔑まされ、入場行進ではどことなく気負いが感じられ、敗退すれば雪国は練習機会が少ないなどと同情の声が寄せられ、常に劣等感に支配されてきたと言えます。
時代を変えたのは、昭和から平成へと元号が変わった最初の大会と言って過言ではないでしょう。それが、甲子園に鮮烈な印象を残した仙台育英ナインです。当時、坊主頭が主流の高校野球の常識を変えた仙台育英ナインの自由な髪形、東京六大学を彷彿とさせるセンスの良いユニホーム、そのインパクトを裏切らないだけの選手層の厚さは、これまでの東北勢の印象を払拭しました。その夏、優勝候補筆頭として県大会から全国区の注目を浴びた仙台育英ナインに誰もが悲願達成を期待しました。仙台育英は相次ぐ強豪との熱戦を勝ち上がり宮城県勢初の決勝へ駒を進めたのでした。しかし、決勝戦では接戦の末、帝京高校に2-0で惜敗。あれだけ遠かった決勝の舞台にたどり着き、エース大越投手をもってしても優勝には及ばなかった。おそらく、東北のチームが甲子園で優勝するという夢はもう叶わないのではないかとさえ思えた瞬間でした。
しかし、あれから約30余年、東北の高校野球のレベルは格段にアップしました。ダルビッシュ投手率いる東北高校、2年連続決勝進出の青森光星学院、2度目の挑戦となった仙台育英高校、金足農業旋風、しかし何れも一歩及ばず。その間に、深紅の大優勝旗は海を越え北海道へ渡ったのです。
野球留学という言葉がありますが、どのスポーツ界においても有望な選手は強豪校へとスカウトされます。平成元年の仙台育英の準優勝当時、主力メンバーの多くは関西などからの地域外の選手で構成されていました。しかし、その陰で選手育成のために高野連など多くの関係者の尽力により地域を挙げて取り組んだ成果が今結実したのだと思います。今回の優勝メンバーの多くは地元の選手たちです。正に宮城の、そして東北の長年の努力が報われたのです。
今大会での仙台育英は、三回戦明秀日立との接戦を制したのが大きかったと思います。茨城県勢は古くから強豪校が多く、これまで宮城県勢は過去の対戦成績においても水を空けられ、春夏二度の決勝の舞台でもあと一歩のところで牙城を崩せませんでした。明秀日立戦は、その雪辱を果たした事実上の決勝戦と呼ぶに相応しい好ゲームでした。エース級のピッチャーを5人も擁し、スター選手に依存しない一人一人の実力に裏打ちされたチームプレイ、データなど科学的な根拠を駆使した日々の修練から繰り出される緻密な野球。そして、気負いなく伸び伸びとプレイするメンタル。100年の扉は、正に高校野球の戦い方まで変えてしまったのです。仙台育英ナインの活躍は新たな高校野球の幕開けと呼ぶに相応しい快挙であり、これからも燦然と輝き続けることでしょう。
仙台育英須江監督の言葉を拝借し「宮城の皆さん、東北の皆さんおめでとうございます!!」